会社概要/企業理念/経営理念/沿革
富士ホールディングス株式会社は株式会社富士製作所及び富士MFG株式会社を管理運営するホールディングスカンパニーです。
名 称 | 株式会社 富士製作所 |
---|---|
設 立 | 平成24年4月2日 |
資 本 金 | 50,000千円 |
所 在 地 | 〒104-0033 |
役 員 |
|
事業内容 | 荷役運搬機械卸販売業 |
名 称 | 富士MFG 株式会社 |
---|---|
設 立 | 平成24年1月27日 |
資 本 金 | 10,000千円 |
所 在 地 | 〒929-0101 |
役 員 |
|
事業内容 | 荷役運搬具機械器具製造・修理業 |
グループ従業員 | 58名(令和3年4月末現在) |
---|---|
取扱品目 | チェーンレバーホイスト (フジプーラー) |
営業・販売拠点 | |
製造・開発 | 富士MFG株式会社 |
取引銀行 | 北國銀行根上支店 |
主要仕入先 | 石川可鍛製鉄株式会社(鍛造品) |
企業理念
『価値創造と共生』
私たちは、新しい価値の創造を通じて、顧客に安全で安心な製品を提供し、
事業に携わるすべての人々の幸福を追求するとともに地域社会の発展に貢献します。
開業
大正12年(1923年) | 東京深川にて「国末製作所」の名前で創業、主に輸入金庫の据え付けを生業としていた。 |
---|---|
昭和4年(1929年) | 銀行用金庫の国産化に成功、製造販売を始める。 |
昭和13年(1938年) | 錠前で取引のあった米国YALE社のPULL-LIFTが金庫据え付け等に便利なことに 目を付け、国産化を計り、「ヒッパラー」の商標名にて製造販売を開始する。 これが日本におけるチェーンレバーホイストの幕開けとなる。 |
昭和16年(1941年) | 太平洋戦争が始まる。 戦時統制令により昭和24年まで、金庫が非軍需物資として製造禁止になり「ヒッパラー」のみを生産し、㈱高田商会等を代理店として、主に陸・海軍向けに納入。 |
昭和20年(1945年) | 空襲が激しくなり、当時の荷鎖(ローラーチェーン)のメーカーであった大同工業㈱に近い福井市に強制疎開させられる。 |
昭和21年(1946年) | 「ヒッパラー産業社」に社名変更、戦後復興のエネルギー源となった石炭鉱山に大量使用される。 |
昭和23年(1948年) | 福井大震災により、石川県根上町に移転、社名を「富士精工」と変更。 |
設立
昭和27年(1952年) | ヒッパラーの販売会社として㈱富士製作所を設立(10月1日、東京) |
---|---|
昭和30年(1955年) | YALE社のPULL-LIFTのコピーから独自創意設計に基づくチェーンレバーホイストの開発に成功し、「フジプーラー」の商標名にて4型の製造を開始した。 さらに日本で初めて高張力鋼リンクチェーンの自動製鎖設備を開発し、製造を開始。荷鎖として使用。 |
昭和36年(1961年) | 富士精工㈱からフジプーラーの製造部門を切り離し、㈱富士製作所に統合する。 |
昭和37年(1962年) | フジプーラーを西ドイツ(PFAFF)、米国(JET)のバイヤースブランド名で輸出を開始。 |
昭和39年(1964年) | 手動ウインチを開発「ポータブルウインチ」の商標名で製造販売開始。 フジプーラーでは空転装置を改良 5型(ML、MR)にモデルチェンジ。 |
昭和40年(1965年) | トレーラー用補助脚を開発、東急車輛製造㈱に納入開始。 「フジバックル」の製造販売を開始。 |
昭和42年(1967年) | 浜町新工場、竣工。 チェーン式荷締機「チェーンバインダー」製造販売開始。 |
昭和44年(1969年) | 強力アルミ合金を使用したAL型(6型)フジプーラーの製造を開始。 他社に比べて驚異的な軽量と耐久性により、一世を風靡した。 |
昭和45年(1970年) | フジプーラーの輸出で輸出貢献企業として表彰される。 遊星ギアーと内歯車、回転子吸引型コーンブレーキ等、特異でコンパクトな電動ウインチ「シルバーウインチFEシリーズ」の製造販売を開始する。 この機種をもって電動ウインチ業界に参入。 |
昭和46年(1971年) | フジプーラーがオーストラリアのDLI規格に合格。 |
昭和47年(1972年) | 販売強化の為に製販分離を行う。 富士製作所は製造に専念することになる。 |
昭和49年(1974年) | 積水化学工業と「パイプ挿入機」を共同開発、同年簡易電動ウインチ 「セーフティウインチ」を製造販売開始。 |
昭和50年(1975年) | バッテリー駆動式補助脚を六三機工商事㈱と共同開発し製造を開始。 |
昭和52年(1977年) | 単相100V用電動ウインチ「シルバーウインチFESシリーズ」製造販売を開始。 |
昭和54年(1979年) | シルバーウインチ「FEWシリーズ」製造販売を開始。 |
昭和56年(1981年) | フジプーラーを安全な空転装置の「7A型」にモデルチェンジ。 電動ウインチJIS規格制定、原案作成委員として参画。 小型簡易手動ウインチ「ハンディーウインチ」製造販売。 |
昭和57年(1982年) | フジプーラーが西ドイツの「GS」スタンプ取得。 ポータブルウインチを安全なダブル爪の「NPW」の3シリーズにモデルチェンジ。 |
昭和58年(1983年) | ゴルフ練習場用電動ウインチ「GWシリーズ」製造販売。 バスケットボード用電動ウインチ製造開始。 |
昭和59年(1984年) | 日本農産工業㈱とカーテンロボを共同開発し製造開始。 |
昭和60年(1985年) | 東京ガス㈱向けマイコン自動制御電動ウインチを製造販売開始。 |
昭和62年(1987年) | 従来の「FES」「FEW」「GW」等を、軽量コンパクトなシルバーウインチ 「SX」「TX」「GX」シリーズに統廃合。 |
昭和63年(1988年) | 小型電動ホイスト「シルバーホイスト・VXシリーズ」製造販売。 微弱無線局方式によるリモコン操作装置を開発販売。 |
平成元年(1989年) | ダイニチ㈱と共同でゴルフ場用ネット強制降下システムを開発し製造開始。 |
平成2年(1990年) | 小型電動チェーンブロック「シルバーミニ・MXシリーズ」を製造販売。 |
平成4年(1992年) | 赤井町工場に新設移転。 |
平成5年(1993年) | ポータブルウインチを、環境に配慮した「PNW」「PSW」「PRW」シリーズにマイナーチェンジ、さらにステンレス製の「SSWシリーズ」を追加製造販売開始。 |
平成6年(1994年) | フジプーラーにて画期的なくいつき解除機構をもつ「8Sシリーズ」を製造販売開始。同時にTÜVの認証を受け欧州のCEマークに適合。 |
平成8年(1996年) | 大型電動ウインチ、シルバーウインチ「LXシリーズ」製造販売。 小型電動ウインチ「まくべえ~シリーズ」製造販売。 |
平成9年(1997年) | 小型チェーンレバーホイスト「プーラーミニ」製造販売。 |
平成10年(1998年) | 介護用天井走行リフト「ほっとする~HB型」開発製造販売を始める。 多溝ダブルドラム方式のエンドレス電動ウインチ「GXWシリーズ」製造販売。 ポータブルウインチに溶融亜鉛メッキの「PZWシリーズ」を追加、 又欧州向けCEマーク適合品を製造販売開始。 |
平成11年(1999年) | 「ほっとする~HA型、HC型」開発販売。 日立工機㈱と小型電動ホイストVX600シリーズを共同開発OEM供給開始。 |
平成12年(2000年) | 段差解消機「だんさする~」、レールシステム用「ターンテーブル」 「レール連結機」開発販売。 |
平成13年(2001年) | レンタル用1人組立式「ほっとする~HAR型」開発販売。 切換操作不要のレール分岐装置「ポイント」開発製造販売。 販売部門を新設し製販を一本化。 |
平成15年(2003年) | ㈱日本ケアサプライとレンタル用バッテリー駆動式段差解消機を 共同開発OEM供給開始。 金沢大学、石川県工業試験場、石川県リハビリテーションセンターとの 共同開発の無動力段差解消機にNEDOの助成事業決定。 |
平成17年(2005年) | 創業の地・東京に、東京営業本部を再び開設 |
平成20年(2008年) | ポータブルウインチにバフ研摩仕上げの「SSW-buff」シリーズを追加製造販売開始 |
平成23年(2011年) | 大阪に西日本営業部開設 5トン用電動ウインチLX850を開発製造販売開始 |
平成24年(2012年) | 会社分割 営業販売部門・・・株式会社富士製作所 (本社:東京) 製造・開発部門・・・富士MFG株式会社 (本社:石川) |
平成25年(2013年) | 株式会社富士製作所本社移転 新所在地) 東京都中央区新川2-13-11 内田ビル5階 水平横引きエンドレス作業用電動ウインチ 幕蔵太郎を開発製造販売開始。 手動ウインチに舞台装置・体育館用、国産で安全な上下限制限機構付 エクセレントウインチを販売開始。 |
平成28年(2016年) | 手動ポータブルウインチが安全をコンセプトにモデルチェンジ |
令和4年(2022年) | フジプーラーC1シリーズを発売開始 |